団員1名の応援団
気がつけば団長!?

そもそも、西本さんは太鼓を叩く鼓手として入部をしたそうです。「ずっとサッカーをやっていたのですが、高校2年生のときに膝を悪くして、ドクターストップがかかってしまいました。大学入学時もまだサッカーは出来ませんでした」。そんなときに出会ったのが当時の団長だったそうです。兵庫県出身の西本さんは、大学生協を通して部屋探しをしていました。「僕のお世話をしてくれたのが当時の団長で、『部活は何入るの?』っていう話から、応援団に勧誘をされて…(笑)。でも、サッカーもやりたかったので、鼓手なら兼部も出来そうかなって思ったんです」。西本さんが入部時には、もう1人同級生がいたので、先輩の引退後は、同期が団長、西本さんが鼓手を務めることになりました。しかし、その同期も途中で辞めてしまったそうです。「サッカー部は週6練習があるので、兼部は大変だったし、1人になってしまったから、辞めたいなって正直思いました。でも、入るときに、中途半端にはしたくない、入るなら最後までやり遂げよう、と思ったので、辞めずに続けています」と西本さんは意思の強さを見せてくれました。

空手部から創団!応援団の今?昔

今年の5月、創団50周年を迎える熊大応援団。創団のきっかけは、空手部の部員だったそうです。「『国公立の大学なのに応援団がないのは、おかしい!』と声を上げた空手部の部員の方が初代の団長です。空手部から人を引き抜いて、応援団を立ち上げたそうです」、だから演舞の中にも空手の名残のようなものが入っているんですよ、西本さんは話します。年に一度、OBとの交流もあり、昔と今の違いを互いに感じあっているそうです。「今は空きコマに練習をしていますが、昔は毎日だったとか…。四股立ちという基本姿勢の練習のときも、両ふとももに人が乗っていたそうです」、と西本さんは話しながら顔をしかめます。そんな厳しい練習の話もあれば、「昔は携帯電話がなかったので、練習の後に飲みに行こうとなっても、何時にどこへ行けばいいのかわからず、いつまで経っても飲み会が開けなかったそうです(笑)」といった楽しい話もありました。
1人でも前へ前へ…でも、やっぱり人数がいるっていいな

タテの交流もあれば、ヨコの交流もあります。学校が近くなので、熊本学園大学との交流が多く、時には学園大学から助っ人を頼んで演舞をすることがあるそうです。「一緒に演舞をすると、やっぱり人数がいるっていいな、と思います(笑)」と笑います。
西本さんは、昨年の紫熊祭で、途絶えてしまった「逍遥歌」という演舞を復活させました。「途絶えてしまった演舞がたくさんあります。確実に10以上演舞はあったのですが、僕が舞えるのは6つしかありません」。1人ながらも、途絶えさせないように、現状維持ならず前進しようとしている西本さん。応援団の存続は、周りからも心配されているそうです。「先生や学長にも会うたびに『後輩は入った?』と聞かれます」と西本さんは苦笑い。今後の目標は迷わず「団員を増やすこと!」と答えてくれました。
西本さんは、昨年の紫熊祭で、途絶えてしまった「逍遥歌」という演舞を復活させました。「途絶えてしまった演舞がたくさんあります。確実に10以上演舞はあったのですが、僕が舞えるのは6つしかありません」。1人ながらも、途絶えさせないように、現状維持ならず前進しようとしている西本さん。応援団の存続は、周りからも心配されているそうです。「先生や学長にも会うたびに『後輩は入った?』と聞かれます」と西本さんは苦笑い。今後の目標は迷わず「団員を増やすこと!」と答えてくれました。
(2016年3月25日掲載)
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